こころの眼を開いてみたならば確かに存在する

 本願寺三代目 覚如上人ゆかりの銀杏

親鸞聖人・如信上人・覚如上人の足跡を訪ねてお参りに行きました。

 お念仏を称えるように育つ

 はじめての人と接しているとお念仏が出ないのは知らないのだから当たり前と思い我慢。あまりにもつらい…

 身を引き裂かれるような思いで過ごすことが多いので親鸞聖人が教行信証をお書きになられた稲田の御坊を息子といっしょにお参りしました。親鸞聖人のご子息は善鸞さん。善鸞さんの息子が如信上人です。覚如さんは親鸞聖人のひ孫。

 

 法龍寺さんに如信さんのお手植え榧。如信上人13回忌の際に覚如上人が植えた銀杏が残っています。

 

 習志野にお念仏の道場を

 いまこそお念仏のひかりを

 

 浄土真宗こそ末代濁世の救いです

 

 

 

 父母師長みなこれ福田なり

 この次第のごとく己が肉身を生じて

 養育の恩重く

 訓誨して行を成し

 終に法身と成す

 

「肉身を養育するのは父母なのだから世間に父母の恩に勝るものはなく法身を成就するのは師長だから出世間に師恩以上のものはない」

 

 そこで覚如上人はご両親にたいしてはもっぱら孝行を励み如信上人に向かっては師長として深く報恩の誠を尽くされた

 

 法龍寺碑文解説より引用

如信上人お手植えの榧の木

 

とても大きくて

南無阿弥陀仏

 

習志野の地にお念仏がひろまるように

 榧の木(手前)

 銀杏の木(奥の大きな木)

 親鸞聖人から直接阿弥陀如来の法話を聞き身も心もお念仏そのものの人生だったかしらと想像しながら手を合わせます

 習志野にこだわらなくても世界中にお念仏の灯がともりますようお願いしてしまいました

 

 四年前のこと

 お医者さまから

 「このままだと死にます」「もう治りません」の一点張りで…

 四年間断酒と通院&一日中お聴聞三昧

 

 「阿弥陀如来の仕事だからすべておまかせすればよい」「死んだ後の心配はご無用」「わたしは死ぬのではなくお浄土に生まれる」さまざまな目覚めと気づきをもたらしてくださった死と仏縁・善知識に感謝しています

 令和の時代にこそ他力本願お念仏のひかりあれ

 

 こころの眼でみれば わたしのこころに阿弥陀如来がしっかり確かに生きています

 

なむあみだぶつは阿弥陀仏の心と完全に一体化する私の心です

ほんとうのことばに出会う

ほんとうのことばだけが人をたすける

ほんとうのことば…ことば…なむあみだぶつはことばのことば

いのちの根源からあふれ出てくることば

そのことばは音楽だったり絵画だったりさまざまな姿になっています

こころの眼を開いていただいたならばみえてくる、聞こえてくる世界

南無阿弥陀仏をとなえるとこころの眼が育ちます