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断酒九十三日目

 父の葬儀が終わりました

 

 通夜葬儀は家族だけでやってほしいということだったのですが「どうしてもこの人だけは呼ばないといけない」ということで父の故郷である照光寺の住職をお招きしました。

 

 母は終始決断ができない精神状態になってしまい何を聞いてもどっちがいいのかわからないと答えます。

 

 主治医の先生から「生きていることが不思議です」と言われて入院、輸血、点滴でなんとか自宅に退院することができたあの日から7日で往生の素懐を遂げました。

 

 自宅にかえってきて安心しくつろいでいた中で「ありがとう」「しあわせだ」など父が残していった言葉がたくさんあります。私は何かできることが少しでもあればと一か月間、毎日通っていたので父は嬉しかったのか「こんなに話したことはないな」とつぶやいたりしていました。

 

 臨終を迎えてから残された家族は毎日父の思い出を話し読経をして過ごしました。臨終の当日はさすがにわたしも動揺してしまい涙が出て仕方がありませんでしたが父が大好きだったゴルフウェアに着替えてもらったり身体をふいてきれいにしたりする中で「父の死を受容する」時間を作れたことが精神の安定を取り戻すきっかけとなりました。

 

 かなしいとかさみしいとか言葉で表現できない何かがこみあげてきて瞬間的に涙がでました。情けないと思うばかりです。

 

 パニックになっていた母も通夜葬儀の段取りを整える中、故郷の住職との日程調整のため出棺が三日後となったので「連れ合いの死」を受け入れる時間となり落ち着きを取り戻していったようです。

 

 通夜葬儀がけじめとなってこころを整えることができることを再度実感したものです。

 

 いろいろあっても臨終まで毎日父と話しをすることができたので何となく良かったのかな。

 

 お念仏に出会えてよかった。故郷の住職と話しをしたときに「間に合って良かった(御信心いただくことに間に合った)」とみんなでよろこびました。

 

 みんな死にます。仏さまになるのはみんなではありません。お念仏に出会い、南無阿弥陀仏と称え、他力のご信心をいただかないと「みんなで往生」とはなりません。

 

 間に合って良かったのです。