断酒五十一日目

 今年のお彼岸は母方のお寺にお参りします。従兄が住職をしていますが「いつでも会える」と思っていたら数年経過していました。

 

 死に照らされると「これが最後になるかもしれない」という思いにもなります。

 

 会いたい人と会いたくない人の差がはっきりします。ブログには赤裸々に体調のことを記入していますがほとんどの人には内緒の話しです。これまでと変わらずいつも通りに接しています。

 

 どのような会議でも電話でも誰かと接するときには「最後」かもしれないことを想像するのでこれまでのように漫然と接したりしません。その人の表情や何か心配ごとでも抱えていないかしらなど「会いたい人」への関心が高まった状態で接することができるので新しい気付きや目覚めがあります。

 

  ピアノを弾いている人の姿。

 

 アニメの映像があまりにも美しく見える。

 

 音楽も20代の時に聞いたものとはまったく違います。

 

 お笑いも新鮮。

 

 スーパーマーケットで買い物をすることも楽しい。いつも妻と二人で行くようになりました。

 

 死に照らされて「生」が際立つ。生きていることが新鮮になる。もしかしたら肉体的な年齢とは関係なく若返る(感性が)のかもしれない。小学生のように見るもの聞くものが新しいもののように感じるようになります。

 

 いまがよくわからなくなったらアートに触れたらいい。

 

 みんながそのような気持ちで生きているのではないかとおもうのでありました。

 

 よくわからなくても生きていることによろこびが生まれます。

 

 あなたがアートな人生なのだ。