断酒三十三日目

 妻が毎食、健康のためにということで大豆や野菜などが多い食事をつくってくれます。

 

 息子は健やかに過ごし学校に行くのも楽しそうです。

 

 死を強烈に意識した三十三日前のあの日は動揺して冷静にいまを見つめることができませんでした。「死にたくない」という思いや「死んだら妻と息子はどうなるだろう」という思いが湧き出してきてどうしようもない時間を過ごしました。

 

 薬を飲んで三食栄養価の高い食事をしているとどうも健康になったような気がして仕方がありません。もしかしたら診察は嘘だったのではないかとかあまりに大げさに受け止めすぎていたのではないかという気もします。

 

 死ぬ前にやりたいことを100個考えるということを考えてみましたがやりたいことがほとんどありません。妻と息子と一緒に穏やかに過ごしたい。それくらいですがそれが一番やりたいことなのだとわかりました。

 

 誰かがいないと「希望」が生まれない。

 

 どうしたい。何をやり残した。後悔しないかと問いかける時、そこには「誰か」が必ず存在します。亡くなった人も「誰か」に含まれます。その「誰か」と対話すると「希望」が生まれるのです。「誰か」がいないと自分がよくわからない。

 

 この世でひとりぽつんと存在しているように感じても孤独を感じさせる「誰か」がいます。絶海の孤島で赤ちゃんの頃からひとりで育ったら他人がひとりもいないので「孤独」を自覚することはないのです。

 

 「望み」という言葉をホワイトボードに書こうとしたら「望」の感じが書けなくなっていました。望みがなくなると言葉を忘れるのかと驚いたくらいです。

 

 こころの中に住んでいる「誰か」が希望を生み出します。