断酒三十二日目

 精神力を使うと飲酒したくなります。

 

 でも、水で我慢。飲みたいという気持ちにはいっとき。飲んでしまったら一生後悔です。

 

 どちらにしても「死」は免れることができないので今まで我慢してきた小さな日常の一つ一つを改めるということに挑戦しています。

 

 第一弾は通話オンリーで使用していたガラケーをやめてスマホに変えました。ペイペイやd払いなどのキャッシュレス決済もできるようになり喜んでいます。ラインも再開しました。既読とかなんとかはピンとこないので楽なメール機能として活躍しています。

 

 第二弾。12年間「一年の間に数回しか着ないから買う必要がない」と言い続けてきましたがさすがにわきの下が切れたり擦れたりして「そろそろ限界かもしれない。でもほとんど着ないから買わない」と購入を先延ばしにしてきたスーツを新調しました。

 驚いたことは「デザインがまったく違う」ということです。12年前のデザインのスーツと比べると新しいスーツはとてもすてきでかっこよく見えます。ウォッシャブルという機能もついているので自宅で洗濯ができるということも嬉しく思いました。

 

 第三弾。初対面の人から茶話会に参加しませんかというお誘いのメールがありました。いつの日か「死んでしまう」と思ったらささやかな出会いも大切な出会いにつながるかもしれないとかなり前向きに考えるようになりましたので「当然、参加でしょ」と妻の許可を得ました。どうなることやら。

 

 死んでしまうという事実は世界中の人に共通している事。虫も魚も動物も木も花もコケもバクテリアもみんな「死」を避けることはできません。嫌な人、憎んでしまうような相手でも「この人も死んでしまうのだ」と思いながら接していればメンタルを削られることが少なくなり「死」を意識しながら生きると良いことがたくさんあると実感する日々です。

 

 第四弾。おべっかを言わない。嫌なことは嫌だとはっきり伝える。できないことはできないと言う。自分を押し殺して「〇〇をやる」という場合、精神的には死んだも同然です。社会人なら我慢することは当たり前と思いながら生きてきました。誰しもほとんどの人が「自分を押し殺して」頑張っている人です。

 

 無我の境地までいけば「苦」がなくなるので一概にダメなことだとは言いませんがお釈迦様のようにはなれない凡夫にとってはさとりを開くことが難しい状況で「自分を押し殺し」続けると精神的に死にます。

 

 第四弾のお手本になったのは「末期がんの患者さん」であります。限りある余命。限りある時間をどのように過ごしたらよいのかをいのちがけで追及されるお姿は「死」を意識して生きるということの具体的な姿がありました。

 

 余命宣告を受けるとさぞかし「死」をおそれて絶望的な状況の中で自暴自棄に生きるかもしれないという疑問が雲散霧消して、逆に「よく生きることを追求するようになる」というお手本を身をもって示してくださいました。

 

 わたしもあなたも必ず死にます。限りある時間をどのように生きていきましょうか。みんな心の底では感じていること。

 

 そのように大げさに考えなくてもいいのではないかという人もいましたが「死ぬ」ことは大げさなことです。人生の一大事にあたって目をつぶるわけにはいきません。真剣に「死」と隣り合わせであることを考える方が良いのです。

 

 なぜかといえば「死」を目前にすると「どう生きるか」「何がしあわせか」「何がやりたいのか」「どのように最後を迎えるのか迎えたいのか」真剣に考えるようになるからです。健康で元気なうちに「死」を意識しながら生きる方がより健全に生きていけます。

 

 第五弾は何にしよう。

 

   「死」に照らされて見えてきた世界はほんの少しでもいいから「今よりもよりよくいきたい」でした。歩みの一歩は小さい一歩かもしれないけれどそれでもいいから「美しく生きたい」「理想を求めて生きたい」というものでした。そのように生きて死んでいった人がたくさんいます。先立たれた方々の思いを思い出す時間を大切にします。