断酒三十日目

 飲酒しないことを伝えると「俺と一緒にお酒を飲めないのか」となかばパワハラに近い感じですごまれたりしました。確かに仲良く食事を共にしてビールやお酒をお互いにそそぎあいながら懇親を深めることは人と人をつなげる一つの手段であります。

 飲まなくなったら集団から疎外されたような状態になりますし、これは良くないと感じたことは「話題についていけない」ということでした。断酒をすることを決めてから飲食を伴う場所には100%出席しなくなったのであたりまえのことですが「飲食の場」で盛り上がった話しや本音トーク・抱えている問題について話す場所にいないのですから翌日や翌週は「話題についていけない」状態が生まれるわけです。

 

 ひとりぽっちになってしまったような気分でした。

 

 それでもドクターストップがかかっている以上飲酒するわけにはいきません。

 

 それまで習慣になっていたことを一つ一つ整理して飲酒衝動が起こらないように努めてきました。

 

 ①晩酌などを毎日していたら夕食の時間が来ると飲みたくなります。

 ②お酒を連想させるものを見ると飲みたくなる。

  おつまみ。買い物に行った時に山積みになっているビールや日本酒の棚を見たとき。居酒屋さんのポップ。繁華街。

  自動販売機。

 ③お付き合いの席へのお誘いと冷たい視線。

  さみしい思いをするくらいなら飲んでもいいかという変な感じの衝動が生まれます。

 

 どれも意思の力が強ければ何とかなるだろうと想像する人もおられるかと思います。でも依存症は精神力の強弱でどうにかなるようなものではないのです。

 

 タバコに関しても「自己管理できないような人間は管理職になれない」という風潮もあります。

 

 厚生労働省の薬物回復のページを読んでみると「治療」が必要なことがよくわかります。専門家や医師、お薬による精神的なサポートが必要だと自分自身で理解できると気分が楽になります。

 

 いちいち「俺は弱い人間だ」と頭を抱えなくてよくなります。ほんの少しだったらいいだろうという思いがわきおこったときには「これはまずい」と自分自身がよくわかっているので断酒や禁煙に失敗すると自分を責めるようになりますし、自分の中にいる「他人」からとんでもない誹謗中傷を受けているような気分になります。自分自身との闘いであることは間違いありません。

 

 ①に関して

 習慣になっている飲酒。習慣を断ち切ればよいのですがはじめは苦しいでしょう。わたしは夕食のときに「野菜」から食べるようにしました。「野菜」→「お味噌汁」→「お茶」を食べ始めの15分くらい続けます。一か月経過してわかったことは「空腹」がよくないようであることがわかりました。

 

 お腹がすいていると何かを食べたくなります。その「何か」を食べたい、飲みたいという空白に野菜とみそ汁、お茶を入れたのです。食欲とアルコール摂取への衝動は区別がつきません。単なる食欲なのか断酒していることによる飲酒衝動なのか素人のわたしには判断がつかなかったのでまずできることから始めました。

 

 空腹による食欲への衝動から抑えてしまおう。続けることによって飲酒したいという思いがなくなることがわかりました。

 

 ②に関して

 見ない。近寄らないで何とかしました。

 

 ③…これは働いている人や人間関係を崩したくない人にとって深刻な問題に感じると思います。

 

 飲み会への出席をしなくなって一年半ほどが経過しました。断酒が一か月なのに一年半も懇親会に行かなかったの?という疑問が生まれるかもしれません。わたしはお医者様から「一滴でも飲酒したら死んでしまうよ」と言われ断酒をすることを決めましたがそれまでにお酒の席での会話があまりにもくだらないように感じてすべて断るような生活をしていたのです。

 

 その期間中に言われたのが「俺たちと飲みたくないのか」でしたし、話が合わなくなるのでなかば「仲間外れ」に近い状態になったりします。これが職場の人間関係だったらあまり良くないと感じる日々です。

 

 一年半の結果はどうか。

 

 今は飲酒しない人がたくさんいるので大丈夫。仕事に影響があるかもしれないと弱気になったり心配したのは最初だけです。「あの人は飲まない人」「飲酒はドクターストップ」「健康の問題だ」のような印象が周囲に伝わり定着すると人間関係に支障はでません。

 

 「飲酒をしない人」として懇親会や飲み会、パーティーに出席してソフトドリンクを飲んでいればいいです。ウーロン茶だけでも飲んでいるような気分になったりします。人間の感覚はたいしたことはありません。脳みそをだましてしまいましょう。

 

 それでも辛いと感じるのは「楽しく飲んだ記憶」が残っているので親しい人から「飲まない」ことを「つまらない」と指摘されると心が締め付けられるような思いがしたことです。

 

 どうにも整理がつかないので妻に相談したら「それを言う人はあなたが飲んで死んでも構わないくらいに思っている無関心な人だから付き合いをやめたら?」というストレートな言葉がかえってきました。

 

 楽しかった思い出をこころのなかにしまって「あきらめるしかないか」と自分に言い聞かせています。その人との付き合いが仕事の中で、人生の中でどれだけの比重があるかで決めるのか「いのち」の問題として考えるのかと線引きしたら誰でも死にたくないので断酒を続けることができると思います。

 

 どうしても衝動が止められないときはお医者様に相談して入院してしまいましょう。人はひとりでは生きていけないので集団から疎外されるような状況は避けたいところです。組織・集団から離れて一人になるのは本能の部分も刺激されるので不安になったりします。

 

 「この集団から抜けて一人になったら生き残っていけるのだろうか」と考えたりします。

 

 この人のご機嫌を損ねたらどうしよう…大切な人だったりキーマンだったり出世に関して引っ張り上げてくれる人だとご機嫌を損ねたら自分の身が危うくなるかもしれないと考えたら死んでいくということすら天秤にかけて衝動に負けてしまいそうになります。

 

 私の場合は初期の診断が「肝不全」「肝炎かもしくは初期の肝硬変」だったので人間関係の心配事はすべて吹っ飛んでしまいました。妻も「死んでほしくない」と必死に訴えるので断酒が続いています。

 

 人間関係に関しては誰もあなたの心配はしないという結論に至ります。

 

 わたし自身が「誰かの心配をするか」と問うたら「ほとんどしてない」のが真実ですから逆に考えると「誰からも心配されない」ので気をもんで無駄な時間を過ごす方が損だと開き直るくらいが調度いい。

 

 お釈迦様が最後の旅で死んでしまうくらいの腹痛に苦しみます。肉体的な痛苦に耐えながらお釈迦さまは自らを灯として法を灯として生きよとお言葉を残されます。なぜ、苦しまなければならないのかと問えば生きているからです。この世に生まれたからに違いありません。すべからく全員が苦しむようにできあがっています。

 

 全員が苦しむように出来上がっている中で「あなたはどのように生きますか」と日々問われています。

 

 「どのように」の部分は日々努力することができるのでお釈迦様は「精進せよ」と涅槃に入る間際、弟子の阿難さんの語るのです。

 

 涅槃図を見つめていたらあなたにも「大切な人」や「大事なこと」が良く見えてきて「わたしはどのように生きるか」という全人生の目的がはっきりとわかるでしょう。