断酒しました

 2020年8月3日(月)僕は断酒することにした。

 

 かかりつけのお医者様が「いのちにかかわることだから紹介状を書いておきます」と言われるので専門医に診察してもらう。次の病院でも「肝臓の数値が悪いので紹介状を書きます」と言われる。

 

 僕はそんなに悪くなっているのかという思いとピクリとも笑わないお医者様の表情を見てドキドキした。もしかしたら…という思いの中、仕事のことを一番に心配した。

 

 妻に電話をかけ緊急入院と言われていることを伝える。仕事を誰かに頼まないと…

 

 先輩に電話をかけ事情を話し「万が一のことがあったら私のかわりにお参りにいってもらえませんか」とお願いをする。

 

 三つ目の病院にて「このままお酒を飲み続けたら死にます…」という状況に…動揺を抑えられない。

 

 死に照らされてひどく恐れおののいた。

 

 

 三日間、悩み続ける。

 

 「僕は死ぬ可能性があるのだ」

 

 「今日や明日ではないだろう」と漫然と過ごしていたことに気が付く。さまざまな人と出会いお参りに行ってきた。余命宣告を受けお寺に来た人もいた。死に照らされてはじめてわかった。

 

 お坊さんでありながら…「死」を頭でしか理解していなかったという事実を。

 

 三日間もだえ苦しみ、不安や恐怖心と戦った。

 

 本堂で阿弥陀如来に手を合わせるも落ち着かず立ったり座ったり、ウロチョロウロチョロと歩き回った。

 

 「僕はなんてことをしてしまったのだ」「取り返しのつかないことをした」「家族の生活はどうするんだ」様々な思いが駆け巡り夢なら冷めてほしいとこころの底から思った。

 

 「死にたくない」と世界中の人が心の底で叫んでいるような気がした。

 

 四日目の朝。

 

 「なんだ生きているじゃないか」

 

 死に照らされて見えてきたものは「生きている」ことへの感謝と死んでいないことへの喜びだ。

 

 あと何年生きるかわからないが生きていることがこんなにうれしいと思ったことはない。

 

 8月7日(金)

 

 三つ目のお医者様の診断。「とても肝臓が弱っています」「10月にCT検査をしましょう。そこで正式な診断をします」

 

 その言葉を聞いたとき帰りの道すがら「生きている時間」がギュッと圧縮されたような気がした。それと同時に死に対する恐怖心が「生きているよろこび」に変化することを実感した。生きているという事実だけで「よろこび」が爆発するような感じだ。

 

 今日は生きている。何かできるはずだ。行動しよう。

 

 妻と息子には現状を説明して今後の生き方を話す。

 

 争いごとはもう二度とゴメンだ。あたたかい家庭、やさしい言葉。ぬくもりのある態度で接したい。無駄な時間はないだろうからせめて家族といっしょにいるときは「ぬくもりのある時間をたくさん過ごしたい」そのようなことを伝える。仕事への熱意も今まで以上だ。ご縁のある人には「阿弥陀様に出会い、むなしく終わらないことを伝えたい」「浄土真宗の教えに出会いぬくもりのある時間をたくさん過ごしてほしい」そんなことを伝えたいと思った。人は変われるんだ。

 

 未だ来たらずの未来におそれおののくことなかれ。

 

 8月22日(土)

 

 お参りから帰ってきて妻に伝える。

 

「ブログを再開してほしいって何度もお願いしてたっけ。三週間、断酒できた。断酒日記だったら書くことができるかもしれないから始めてみようと思う。同じような悩みを持っている人もいるだろうし…」その言葉を聞いた妻が満面の笑みになりとても喜んだ。

 

 10月21日(水)にCT検査と胃カメラ。診断される日まで日記を書こうと思う。

 

 11月7日(月)診断結果が出る日。この診断で状況が変化するだろう。万が一はないと思いたい…。妻が励ましてくれる。

 

 「だいじょうぶだよ」

 

 結果がどうなるかわからないが日記を書こう。

 

 8月3日の診察が終わったあと先輩に報告の電話をする。

 

 「これまでとても楽しかったです。何度も大笑いして、こんなに楽しい時間を過ごすことができて本当にしあわせでした。ただ、これからはお酒を飲むことができません。ざんねんです。」電話口の先輩もざんねんそうだった。

 

 今日、僕は生きている。