人が来るよ

 この頃は「しあわせオーラ」が体中からあふれ出しているせいか人が寄ってくるようになりました。

 

「学生の頃、クラスの人気者だった時期とまわりの環境や雰囲気が似てきているように思う」と妻と会話しながら思い出したのは「しあわせオーラ満載の人」をうらやましく思ったりして意地悪されたりしたことです。

 

 意地悪した人と再会した時に「うらやましかったんだ」と告白されて今日に至りますが学生の頃は何故意地悪なことをされるのか理解できなかったので意地悪に負けてしまいました。

 

 あの時のことを妻に話したあとに気が付いたのは知的な障害を抱えて生まれてきた弟を見た周囲の大人から常に「かわいそうな家」と思われている節があったので「かわいそう」という雰囲気と戦ってきたのでありましょう。それは天然で自然な訓練だったのです。

 

 どのような訓練だったかというと現実の環境がどのようなものであったとしても「しあわせ」「明るさ」を失わない強い心を生み出すための訓練。

 

 そのことに気が付いて、もしかしたら自然に「しあわせオーラ」に包まれるように成長し育ててもらって出来上がった人格なのかもしれない。これはそうやすやすと手に入らない能力に違いないと自信を深めたりしています。

 

 集まってくる人のなかにはいろいろな人が混じりあいますが「その人」といるだけで何かが吸い取られるような感覚があるのは皆さまも同じでしょうし「あの人」といっしょにいるだけで何かが与えられて元気に楽しくなる場合は当然ですが人は寄ってきやすくなるのでしょう。

 

 無収入の三か月を乗り越えたあと、何かが変わったように感じているわたしはようやく何があっても「しあわせ」感覚に包まれるようになっている性質を実感するのでありました。

 

 いろいろなことを体験させてもらって感謝の気持ちでいっぱいであると同時に辛苦だったことのすべてが意味のあることに感じたりします。人付き合いもすべて含めてです。

 

 そして今度こそは意地悪に負けないようにしたいと思うのです。

 

 茶話会のとき、ご門徒さんに「その人の目を見ただけで分かります」と申し上げたら皆さん驚いていましたがそれこそ天然なのでしょう。小さい頃、母は弟の世話で手一杯でしたからご近所の人に預けられるなかで身に付いた性質です。そのようにしなければ生きていけないというプレッシャーの中で育てば自然に身に付くのかもしれませんから皆様の中にも飛びぬけて素晴らしい能力があるはずです。

 

 自分をかわいがってくれるかどうか。危害を加えられないだろうか。安心して身を任せても良いか。その都度、幼稚園の頃から訓練されたいたのです。大人には負けてしまうので「そこにいてもいいという許し」を本能で感じ取らなければいけません。必死でした。目をみると「さげすんでいる」のか「疲れているのか」「怒っているのか」「楽しんでくれているのか」わかるようなります。

 

 目だけではなく体中から発せられる空気というものもあるでしょう。

 

 そして。あれから40数年が経過して思うこと…わたしはすべての困難にありがとうと言いたい。

 

 この先、訪れるであろう困難にもありがとうと言い続けられるわたしでありたい。