自己変革こそ仏教の本質

 これまで仏教は存亡の危機を何度も乗り越えてきました。廃仏毀釈では島地黙雷や大洲鉄然など多くの指導者が仏教への攻撃に対応すべく真摯に向き合い危機を乗り越えました。

 当時も現代も自己変革こそ仏教の本質であるとして「教え」を説くことに趨勢を挽回する矜持をもって生き抜いた人がいます。

 「教え」はことばです。南無阿弥陀仏ということばになれば人がたすかることがわかった…八万四千といわれるほどのお経の中から仏教の本質を阿弥陀如来の願いに発見したのが親鸞聖人です。阿弥陀如来の願いがことばになり、仏のことばを聞いた人がたすかる。それ以外に助かる方法がないと教えてくれたのが親鸞聖人です。

 病気になって「死ぬ」ことを痛切に意識したときどうすればこの苦しい思いが解決するのか。若いころは考えなかったけれど年を重ねて思い通りにならなくなった体。その苦しみを解決する方法はないのか。いよいよ逃れることができない「死」が迫ってきたとき…仏になると知らされた。

 たすかるのはその瞬間です。

 学歴も名誉も財産もすべて失う恐怖。人間としての「わたし」がすべて失われて他者との関係が一切失われることはすべての人にとって解決しなければならない問題です。

 

 あらゆる悩みは死の影から生じます。

 死の影を見て意識しないように無理をしたり不安になったり争ったり。逃れても逃れても逃れられないのは自分の死の影だからです。それが「妄想」だと気が付いたらたすかります。

 

 仏教存亡の危機は今も昔も変わりません。いまも危機です。

 その危機の原因はどうでもいいやと投げやりになるこころです。いちばん大切にしなければならない自分自身のことでさえ老病死を意識しただけで見切っていく。そこに危機の根源的な因があります。

 こころの危機的状況が少しでも変われば世界が変わります。それがわかれば「たすかった」といえるでしょう。

 

お釈迦さまは世の中を嘆いたのではありません。迷わなくなっただけです