不安に勝つ

 ネガティブな言葉やイメージが沸いてきたら「負けないぞ」と頭の中で言うようにしています。

 

 想像以上にスッキリして、前向きなきもちになります。

外出自粛

 頑張って自粛しています。

 

 三密も守っています。

 

 築地本願寺も職員さんは自宅待機です。

 

 何とか乗り切りたいと思うばかりです。

日常生活

 いつも通りの生活リズムを心がけています。

 

 

再犯

 人は更生することができます。

 

 甦るという字はバラバラにすると更生です。

 

 反省しなさいと言って反省できるくらいなら反省しなさいと誰かに言われなくても自分自身の行為や言葉使いなどを改めることができます。

 

 さて、自分事としてかつてやってしまったことを思い出してみるとその行為の底にはさまざまな気持ちが隠れていることに気が付きます。

 

 コミュニケーションをしている中で見えてくるものがあるので一緒に更生していきたいと思いました。

 

 社会に参加できるようになれば「甦る」ことができて居場所があれば再犯につながらない。そこを信じて頑張ります。

たたかうぞ

 世界中のお医者様がたたかっています。

 

 患者さんもたたっかっています。

 

 わたしもたたかいます。

負けないぞ

 コロナに負けないぞ

 

 

不安になる情報ばかりだと不安がつのる

 「ニュースは見ない方がいいよ」と教えてくれた妻。

 

 大不況になるなんて聞いたら誰でも不安になります。大不況にならないようにするためにはどうすればいいのか教えてくれないと不安だけが残ります。

 

 わたしの仕事の範囲はだいたい習志野市内が移動範囲になります。仕事柄、電車に乗りません。世の中がどうなっているのかは住んでいる地域の身近な世界でしか知ることができないので新聞もよく読みます。ニュースもしかり。

 

 電車に乗らず、車での移動が多いのでマスクはしていません。たぶん今の状況でマスクをせずに電車に乗ったら非常識な人として扱われることもあるかしら。総代さんが「少しでも咳をしたらにらまれたりするよ」と笑っていました。総代さんは気管支の持病があるので「せき」を止めることが難しいと笑っていましたがみんなピリピリしながら仕事をしているのだろうと思ったりします。

 暗い顔してたら仕事が来なくなるぞと妻に言われ元気になりました。

あきらめた

 諦めるの意味は「明らかに見て取る」と習ったことがあります。ニュースやワイドショーを見ると不安になって怖い思いがつのります。

 

 昨晩、総代さんご家族といっしょに毎月の読経をしたあと感染の話しになりました。

 

 全員が検査されないので感染しているかどうかわからない。検査してくれたら感染しているかいないかわかるのでもしも感染していたら外出しないわけで爆発的な患者の増加にはならないのではないだろうかといった結果に。

 

 妻が「毎日ニュースを見ていたら不安になるから見ない方がいいよ」と教えてくれたり。そんなこんなで「感染したら感染した」でその時に考えればいいやと気持ちが楽になりました。

 

 みんながこころをひとつにして明るく元気にこの病気を乗り越えられたらいいと思いました。

たいへんだ

 なるべく不要不急の外出はしないようにしていますが、ニュースを見ているとお客さんがまったくいないレストランや居酒屋さんの苦しんでいる姿が流れます。

 

 給料がでないことを何度か体験しているわたしは放送される飲食業・観光業の人がどれだけの痛みをかかえていらっしゃるかわかるような気がしてことばが胸にささります。

 

 収入が〇割減ったということばを聞くたびに「無給で耐え抜く日々」がわたしにも再来するのではないかとこわくなったりします。

 

 この世の中から一日でもはやく新型ウィルスがいなくなることを念じてばかりです。

 

 世界中でたくさんの人がお亡くなりになられました。手を合わせるばかりです。

マスク

 あまりマスクを付けません。

 

 読経をする時にマスクを付けるかどうか思案してます。

 

 お寺の本堂でのご法事が増えたので密集しないように気をつけています。

大丈夫?どうしたの?

 夏、強い日差しのなかポスティングしていたとき、目まいがしてへたり込んでいると「だいじょうぶ?」と声をかけてくださったおばさんがいたなぁ。

 

 散髪屋さんで困っている人を見た時にどうしますかと聞いたことがあります。

 

 自分自身で声をかける勇気はないので駅などだったら駅員さんに知らせますという感じでした。

 

 ある日の混みあった電車の中。若い女性に声をかけてナンパしている男性がいました。どうも女性が怖がっているような雰囲気です。近くにいるわたしにも「女性が困っている」ことが伝わってきたのですが声をかけようかと躊躇しているその一瞬の間に女性と男性の間に無言で割って入ってきた人がいました。混みあった電車の中。電車の揺れに合わせて一瞬で間ができました。

 

 オッと思ったその後、男性は女性に声をかけることをやめたのです。割って入った男性と目が合うと「やめなさい」と言っておられるような気がしました。カッコいい人がいると思いました。私服警官だったのかしら。

 

 躊躇なく的確な行動できる人は一瞬で何をするべきか判断できる素晴らしい人。あの時わたしが勇気を出して「女性が困ってますよ」などと言ったら喧嘩になってもおかしくない。無言で間に割って入るという選択肢はありませんでした。

冷えました

 雪が積もりました。

 

 お墓参りをしたあと、体の芯から冷えてしまい震えが止まりませんでした。

 

 墓参をなさったご門徒さんも寒さに凍えながらお焼香です。

 

 お焼香をしている姿と雪、コートに積もる雪を見ながらお経をあげていたら「気持ちのある人」は少しくらいの天候の変化では法事を中止にしたりしないのだとカッコよく感じました。

 

 新型ウィルスの影響で法事が中止になるかと心配していましたがそのようなこともなく皆さんお参りなさいます。

 

 少数人数なので密集したりしません。

 

 季節外れの雪と霊園の桜が美しかった。

輝いて見えます

 十代の人とお話しをする機会がありました。

 

 入学したばかりで希望に満ち溢れています。キラキラと輝いて見えました。

 

 わたしにもかつてあのように輝いて見えた時期があったのかしらと思いながら見送りました。

 

 

しあわせになろうとする意志

 わたしと妻が結婚するときは乗り越えなければならないハードルがたくさんありました。

 

 周囲の反対などもあり妻がこころを痛めたことなどを思い出します。

 

 それでも、決めていたことがひとつだけあります。当時、妻に言い続けていた言葉は「あなたはあなたのしあわせを優先してもいい」です。

 

 罪を犯すわけではないので「家族のためではなく自分のためにしあわせを考える」ということを優先してもらいました。

 

 いま、その当時のことを思い出すと誰に何を言われても、経済的な問題があっても「しあわせになろうとする意志」を貫いて良かったと思います。

 病気になった時にそばにいてくれる人、臨終の間際に同じ時間を過ごしてくれる人がいたら反対されようと貧乏になろうと何とかしてその人をつなぎとめて手を離さないようにしたらいいのだろうと思いました。

 

 一生をいっしょに過ごしてくれる仲間がいるほうがいいぞ。友達でも同僚でも誰でもいいから見つけよう。

ひとりよりも仲間がいる方が

 独身の人が多いのでどこかにパートナーになれるような人がいたら声をかけ続けてきましたがもうやめようと思います。

 

 病気になったときとか一人だと寂しいだろうと思ったりしていました。

 

 探すのを諦めた理由は、たとえ独り身であっても(死別などで一人になることもあるので)誰でもいいからその人の近くに「仲間」がいればそれが一番いいと考えるようになったからです。

 

 職場の同僚でもいいし、ご近所の飲み仲間でも、誰でもいいから近くに「仲間」がいれば寝込んだときでも声をかけてくれたりするような仲間がいればそれが一番いいと思うようになりました。

 

 一緒に病院に行ってくれるような人が近くにいれば心強いのでそのような人間関係を今後は作っていきたいと思ったりもします。

静かに手を合わせる

 悲しいときはひとりで静かに手を合わせて仏壇の前で正座します。

 

 いつでも手を合わせるわけですが特に悲しいときにはひとり静かに阿弥陀如来の前で過ごします。

 

 

誠意

 お客様がいらっしゃいました。

 

 それぞれに思うところがあって「気持ち」をお話しなさってお帰りになられました。

 

 話しをすればお互いに分かり合うことができると率直に感じました。

 

 ことばが大切だと思いました。

 

 態度や目つきも大切だと感じさせてくださいました。

 

 今日も社会の人が大切なことをお知らせに来てくださいました。ありがたいと思います。

お念仏するだけです

 阿弥陀如来の願いを信じてお念仏するだけです。

 

 それだけでいいんです。

人を傷つけてしまったら

 人を傷つけてしまったということに関してどうすればよいのかこたえを求められたので即座に「相手が許してくれるまで謝り続けたらいいよ」と返答してしまい私自身がその返事で良かったのかと自問自答しています。

 

 過去の出来事や「やってしまったこと」「言ってしまったこと」家族関係などを洗いざらい思い出しました。

 

 すると私自身が苦悶の状態になったのでどうしたものかと考えていたら「この苦悶の状態」が「もう二度と大切な人を傷つけないようにする」ための研磨剤か薬に違いないと思ったのです。

 

 一度やってしまったことはもう一度やってしまう可能性があります。

 

 後悔の念に苛まれる時間や押しつぶされそうになる時間は耐え難きものですがひとり仏壇の前でお経を称えます。

度量が大きければ

 ちょっとしたことで悩んだり、何の気なしに言われたことがきになったり左から右に聞き流すことができればどんなに楽だろうと思います。

 

 良く言えばある人が抱えている事を聞いて受け入れることができるということですが聞いたことをずっと考え続ける癖のあるわたしは「もっと器が大きければもっとたくさんのことを受け入れることができる」と思う日々なのです。

 

 キャパシティーを超えてしまうと怒りっぽくなったり泣き上戸になったり身体症状があらわれます。究極の緊張状態が続くと背中の筋肉がバキバキになって息をすることすらままならなくなるので、その様子を見ていた先輩があまりにも急激に変化するので「こわい」という始末。

 

 そのようにならないようになるべく家に籠って仕事以外の話しはあまりしないようにしています。

 一人ひとりが背負っているものは違いますがみんなが背負っているものから解き放たれてしあわせになってくださいと強く念じるばかりです。

3月2日の法話会は中止です

 有縁のみなさまへ

 

 新型コロナウィルス感染症拡大防止のため3月2日に開催を予定しておりました法話会を中止にすることを決定いたしました。

 

 ご協力のほど何卒、よろしくお願い申し上げます。

 

 

雨の日に傘をさして散歩する

 晴れている日が好きなのはわたしも同じですが、もっと好きなのは雨の日。

 

 濡れるのがいやということばを聞きます。わたしも濡れるのは嫌なのですが至る所のチリや誇りが雨で流されて気持ちがいいのです。

 

 傘をさして散歩に出かけました。

 

 いつもならたくさんの人が散策している公園。

 

 雨のせいか人っ子一人もいません。公園の中にはわたしと管理人室のお爺さんだけです。

 

 

お留守番

 ほとんど外食をしなくなりました。

 

 自宅で妻が作ってくれる手料理がいちばん。好きなお蕎麦などを好きなときにゆがいて自宅でゆっくりと自分のペースで食べる方が気楽です。

 

 妻は「たまには外食に行きたい」というのですがとにもかくにも食事をしているときに「誰かに見られている」だけでもストレスになることがわかりいつも行く食事処ばかりになります。

 

 友人からのお誘いもあるのですが一切いかなくなりました。

 

 一切お断りする生活を一年間続けたら「お金を使わないで済む」こともわかり倹約するのが楽しくなるくらいです。

 

 慎ましく生きると良いことがたくさんあることにも気が付きました。

 家族に対してはもちろんですが、他人にやさしくなります。お洋服も二着を着まわすようになりました。新しいものや流行に左右されなくなるので気が楽です。自分の時間が増えるのでこころが穏やかになり自分にやさしくなります。

 

 出費のことを考えなくなるので本当に必要なものかどうかで買い物をするようにもなります。良いことばかりです^^笑顔が増えるので家庭が明るくなります。

 

 我慢に我慢を重ねて働くことも大事なことだと思いますが、慎ましく生きると出費が少ないので「この忍耐は必要なことだろうか」と冷静になれます。

きれいに晴れました

 今日は習志野海浜霊園で49日の法要(別室にて)と納骨を行いました。

 

 朝からとてもきれいに晴れ上がってご門徒さんご親族のみなさまともどもピクニックにでも来ているかのような感じです。

 

 101歳でご往生なさったお母さんの49日の法要でしたが「世界はうつくしい」のご法話をして墓前に移動。90歳くらいから見える世界が変わるそうです。

 

 わたしたちのこころは地獄を生み出したり、天国を描き出したりします。

 

 自分のこころですから努め励んでいる間にお釈迦さまのようにこの世の中が美しく見えるようになるかもしれません。

 

 芸術家と同じように「うつくしさ」をたくさん感じられるといいなと思うような晴れでした。

 

それでいい

 

認められなくてもいい

 

嫌われてもいい

 

好かれなくてもいい

 

生きていてもいい

 

死んでいてもいい

 

落ち葉もうつくしい

 

枯れ木もうつくしい

 

何もかもうつくしい

 

すべてうつくしい

驚くほど美しいものをみつけるために生きているのだ。苦しいことのすべてが美しさをみつけるための力になる。

二河白道

二種深信

 

 『二つには深心、深心といふは、すなはちこれ深信の心なり。また二種あり。一つには、決定して〈自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねに没しつねに流転して、出離の縁あることなし〉と深信す。二つには、決定して〈かの阿弥陀仏、四十八願をもつて衆生を摂受したまふ、疑いなく慮りなく、かの願力に乗ずれば、さだんで往生を得〉と深信せよ』と(註釈版聖典 p521より引用)

 

 


郵便番号 275-0001

住所   千葉県習志野市東習志野3丁目13番27号

電話   047-478-2664

 青い空には見えないけれど星が光っています。

人の「気持ち」も親の「愛情」も見えないけれどそこにあります。

見えないものを大切に生きていく事のできる「つながり」つくる仕事をしています。